予防原則

Precautionary ApproachとPrecautionary Principle 

予防原則を意味する用語として、予防原則(Precautionary Principle)と予防的取組方法(Precautionary Approach)が乱立している。 日本では、次のように説明されることがある。

予防原則(Precautionary Principle)
科学的信頼性の高い方法によるリスク評価で十分でない場合は、比較的に科学的信頼性の劣る方法によるリスク評価も採用する考え方
予防的取組方法(Precautionary Approach)
科学的信頼性の高い方法によるリスク評価を重視する考え方

しかし、両者にそうした意味の違いはないようだ。 実際には、そうした意味の違いは次の用語で区別されている。

予防(Precaution)
必ずしも、科学的信頼性の高い根拠に基づくとは限らないもの
未然(Prevention)
科学的信頼性の高い根拠に基づいているもの

カナダはかなり早くからEPAとヘルスカナダで予防原則を取り入れ、ここではapproachとprincipleを同じ意味で使っています。 それからEUのコミュニケーションペーパーが2000年に出ました。 これが、予防原則を使う条件について一番詳細に述べているものだと思われます。 このコミュニケーションペーパーが出たところで、EUでは予防原則のプロジェクトが2年間で組まれました。 PRECAUPRIと言っておりますが、今年の2月に行われたワークショップを見ますとかなり具体的にpreventionとprecautionを分けて説明をしています。 また、今年になってサンフランシスコやカリフォルニアのようなローカルなところでは、precautionary principleに係る考え方を法律の中に取り入れています。


EUによる言葉の区別ははっきりしています。 Precautionary Principleは脅威の深刻さや不確実性の特性をスクリーニングする際に用いられる一般原則であり、上位概念です。 Precautionary Approachとは、そのスクリーニングによって科学的確実性の欠如が明らかになった場合に採用されるアプローチの下位概念です。 Preventionとは脅威が深刻で確実であると確認された場合に用いられるアプローチというようにはっきり分けています。 深刻な脅威が確実にある場合にはPreventiveな方法で処理する。 脅威が不確実な状況であったり、あいまいであったり、大きかったり、新しかったりする場合には、多くの選択肢があるPrecautionaryの方法で行います。 後は普通の化学物質でリスクアセスメントを行い、OKであればその化学物質を使う、というように大きく3つに分けて議論しております。


色々な資料を見てきましたが、Principleを嫌う理由として、国際的にコンセンサスを得られた定義がない、定義があいまいである、広義でありすぎることが挙げられます。 また、環境法の専門家のお話では、Principleにすると適用範囲が広がることや、Principleという言葉が法律の中で非常に強い拘束力を持つ向きがあるので、海洋法ではPrecautionary Approachという言葉で用いるようです。 漁業ではPrincipleという言葉は、魚が全然捕れないというモラトリアムの印象が大きいので使わないと聞きました。


ここでの対立ですが、EU側の主張は、前文、「目的にPrecautionary Principleを記述すべきである。 対象物質の追加に当たっては、あらゆる段階で予防的な考え方を導入すべきであり、科学的議論だけで結論を出すのではなく、締約国会議で必ず政治的な判断のプロセスを入れるべきである。」という議論でした。 対象物質追加に関する条文の最後に、以下の項目を設けるべきとありました。下線部分、“Lack of scientific certainty due to insufficient relevant scientific information”は、“full”という単語が入っていません。 「不十分な科学的な情報により科学的確実性がない場合は、物質追加の手続きや化学物質を追加のリストに入れることを妨げてはならない。」 つまり、科学的確実性がなくても手続きを進めなければならない、という文章を入れなさいという議論でした。

それに対して、気候変動枠組条約ではアンブレラグループと言われていた、JUSSCANNZと呼ばれていますグループ-日本、US、スイス、カナダ、ノルウェー、ニュージーランドの頭文字をとって名づけられましたが-そのグループの主張は以下になります。 1つ目は、Precautionary Principleは国際的に合意されておらず、定義がないので、個別の条約に、ここで新たに導入することは不適当である。 当時あったリオ宣言のPrecautionary Approachを利用すべきであるということ。 2番目は、追加物質の検討に当たっては、科学的議論を尊重すべきであり、特に最初のスクリーニングレベルまで政治的判断を持ち込むべきではないという議論がありました。 EUの主張にあった最後の文ですが、“Lack of scientific certainty・・・”は、科学的議論を無視することにつながるので、条文の項として書くのは不適当であるというものです。


交渉の結果、Precautionary PrincipleかPrecautionary Approachかについての結論は、「ここではPrecautionのあり方を議論する場ではなく、Precautionary Principleを新たに定義する場でもない。 POPsは蓄積し地球に不可逆的な影響をもたらすので、これはまさしくリオ宣言のPrecautionary Approachに該当する物質である。 物質の追加については、予防的考え方も導入するが、今までリスク評価を行ってきたので、これを無視することはおかしい。」という考え方から、基本的にはPrecautionary Approachでいくことになりました。 目的の書き方に関しては、Mindful of the precautionary approachとなり、日本語では「留意して」と訳します。 最後、正確には“Principle 15 of the Rio Declaration on environmental development”(環境と開発に関するリオ宣言第15原則)となり、「この条約の目的は」とつながります。

追加手続きについて、最初のスクリーニングレベルでは科学的な審査を基本とし、Precautionという言葉を入れません。 ここで科学的な議論を無視すると、スクリーニングする意味がなくなるという議論が相当ありました。 特にこの条約化交渉会議の1回目、2回目で、科学者グループがわざわざクライテリアグループを作って議論した経緯もあり、ここでは科学的に行うことになりました。 ただし、検討委員会が却下した場合、提案国がもう一度検討委員会に提案できるようになっています。 検討委員会は一部の国で構成されているので、例えばメンバーではない国からも再提案できます。 それでもだめな場合は、締約国会議に異議の申し立てができる。つまり、全てに締約国会議が関与するわけではないが、却下されて提案国が納得しない場合にはチャレンジするようなプロセスを設けました。 これは、第2段階、第3段階のどちらにも設けられました。 また、リスクプロファイルの議論になった場合、“Lack of full scientific certainty shall not prevent the proposal from proceeding”と、この文には“full”を入れています。 科学的に完全にデータが揃っていない、あるいは不確実な部分があったとしても、手続きを次に進めてもよい、という言い方をしています。 これはリスクの段階です。 最後の締約国会議で決定するときには、scientific certaintyを含めてPrecautionary mannerで決定することが書いてあります。 つまり最後の段階で予防的考え方を入れることで決着しました。

この過程で議論された予防的な取組方法と予防原則の違いを私なりに整理しました。 予防的な取組方法はlack of full scientific certainty、完全に科学的に確実だと言えなくても、対策を講じる。 また、基本的には科学的なリスク評価を尊重する。 EUの方が言っていた予防原則は、科学的確実性がなかったり不確かであっても、対策は講じるという意味になります。 また、科学的なリスク評価よりも政治的な判断を尊重するのが、予防原則だと思いました。 ここでは条約の話だったので、挙証責任の転換の議論は全くありませんでした。


まず第1点のPrecautionary approachとPrecautionary Principleの違いについては、世界的には大きく違うと議論されていました。 有害性やリスクのデータがない場合には、類推をします。 どの程度まで類推して安全側で規制するかという違いが大きい場合があります。 その例がフタル酸エステルです。 日本では厚生労働省で2物質の有害性が判明し、このおもちゃへの使用を禁止しました。 EUでも2物質の有害性が判明しましたが、他の4物質のフタル酸エステル類も何かあるかもしれないので、暫定的な禁止をしているという違いがあります。 ここの注目点は、他もフタル酸エステル類だということです。 他の化学物質に広げていない、つまりフタル酸エステル類について、類似の毒性を有していると類推したのだと思います。 次に、EUでは臭素系難燃剤を禁止をしています。 日本では有害性のデータが揃っていないこともあり、難分解性、高蓄積性の物質でもあるので、一部の物質については事業者側で自主的に生産されていない状況になっていると思います。 同じように、類推で規制している例として、ダイオキシンを出しました。 ダイオキシン類はすべての異性体についてTEF(注:Toxic Equivalency Factor。毒性等価係数)で規制をしています。 これは異性体ごとの毒性データがすべて揃って、実験的に証明したわけではありません。 科学的な計算をし、作用の強さを類推してTEFをあてはめて使っているので、日本でも毒性データがなくても規制をしていると思います。 一方、類推で規制していないのが4番目の例です。 日本ではトリクロロエチレン、テトラクロロエチレンは発がん性物質として地下水でも規制をしました。 その結果、同じような有機塩素系溶剤のジクロロメタンに移っていきました。 もう1つ、1,1,1-トリクロロエタンという類似物質がありました。 これは毒性が低かったのですが、オゾン層保護の関係で使われなくなりました。 PRTRデータを見るとこの3物質の中で一番排出量が多いのはジクロロメタンになっています。 しかし実際に発ガン性は、IARC(注:International Agency for Research on Cancer。国際がん研究機関)で2Bという同じようなレベルでしたので、それほど違いがあるようの思えません。 有機塩素系溶剤全体で有害性を比較した上で、どのような規制にするか検討すべきでしたが、トリクロロエチレンとテトラクロロエチレンの毒性が先行して叩かれた結果、ジクロロメタンに移行したようです。 これは日本だけではなくEUでもこの3物質をグループとして評価していないと理解しています。 フタル酸エステルのような類似毒性を持つ物について、毒性データを集めて、一部類推をしているということは、EUでも必ずしも全部やっているわけでもないだろうと思います。 このような違いはありますが、最後の「挙証責任の転換」は全く違う次元で、政策的な要求と思います。 日本でいう既存化学物質対策について、EUでは今後、事業者にすべてやらせるようですが、ある意味政策的な要求なので、別の話だと認識しています。

次にPrecautionとPreventionの違いですが、日本ではPrecautionを「予防」と訳し、Preventionを「防止」や「未然防止」と訳します。 先ほど言ったように、リスクが未知か既知かで分けていないように思います。 例えば「予防接種」というのは、リスクがあると思って予防接種しますし、「予防措置」もリスクがわかっている場合に使われます。 「未然」だとわかっている状態での防止という意味で「未然防止」としただけで、「予防」と同じ意味になるのではないか、というのが私の考えです。


日本では公害被害の反省から、公害対策については重大な環境汚染や健康被害が生じないように「未然防止」施策を実施してきました。 日本は「予防的な取組方法」を含むリオ宣言の採択に賛成しています。これをよく読むと同じような考え方になるので、「未然防止」において「予防的な取組方法」を適用してきたと思います。 予防的な取組方法の例の1つとして、オゾン層破壊防止のためにフロンを規制するとか、地球温暖化の温室効果ガスの排出量削減、あるいはカルタヘナ議定書による遺伝子組み換え生物の規制があります。 これらはすべて科学的には証明されていないが、危ない可能性が高く、気づいたときには手遅れになるから先に予防する、という考え方なので「予防的な取組」といえます。 しかしある意味では「未然防止」であるという整理もできます。

最後に私なりの結論をまとめました。「予防的な取組方法」と「予防原則」は、世界的に異なる概念として使われています。 「予防原則」とは予防的なものを広くとらえていることを使われる方は充分留意すべきだと思います。 有害性リスクのデータがないとどの程度まで類推して安全側で規制をするかによって、予防の程度がかなり異なる場合があります。 さらに予防原則には「挙証責任の転換」という考え方が入っています。 これが入ると全く違う次元の話になると考えられます。 そうでなければ、予防をどこまで類推するか、安全側で考えるかという程度問題になりますが、予防原則にこれが入ると程度問題ではなく政策議論になると思います。 次のPrecautionとPreventionの違いについては、はっきりしていませんが、日本ではだいたい同じような意味で使われてきたと思います。 最後の結論ですが、概念の議論については、抽象的でよくわかりません。 結局は、十分証明できないけれど、リスクや有害性が懸念されるようなケース、例えばフタル戦エステルは2物質の有害性情報だけで他の4物質も危ないと思うのか思わないのか、また、先ほどのトリクロロエチレンとテトラクロロエチレンを規制したらジクロロメタンも規制しなければいけないのか、といったように類推できる場合にどうするかということです。 化学物質の管理方法ついてPRTRや化審法改正など、法的には整備されましたが、具体的な物質の議論になると思います。 その中で、このようなケースはどこまでやればよいか、具体的に経験的に積み重ねていくことが大事になってくるというのが私の結論です。


(中下) 先ほど早水さんが言われたように、同じ会議に出ていました。 この2つの違いについて、EUとスウェーデンに調査したときなど、色々なところで尋ねてみました。 その結果、EUでは、私たちが日本で議論しているほど、皆さんが2つの議論の違いを認識しているわけではなく、どこに行っても2つの意味は変わらないと言われました。 EUでは、彼らがどのような場面でどんな形で予防原則を適応するか、というのが大きな議論になっています。 どういう形でという中に、一番極端な適応の仕方として、挙証責任の転換を一部含みます。 これは、先ほどガイドラインがありましたが、場合によっては挙証責任の移行の可能性までいくと思います。 また、CEFICにも瀬田さんのご尽力で訪問させていただきました。 産業界では予防原則自体は異論がない、approachも同じだ言っています。 では、どこが一番懸念されているかというと、ここでいうと5番目です。 取っている規制が、避けなければいけないリスクと比べてどの程度のものか、についてです。EUでは予防原則の適用を裁判所が決めておりますが、裁判所の結論の中で、取られた対策が避けなければいけないリスクに比べて規制が非常に厳しいことを盛んに問題にしています。 具体的に、どのように適応していくのかが一番大きな議論になります。 結論としては、早水さんのまとめて下さった結論とほぼ同じでした。 概念の整理よりも、具体的な場面でどのような形で適用していくのかが議論されていくべきだと思いました。 もう1つはEUでREACHという新しいシステムの話を聞いたときに、vPvB(注:very Persistent and very Bioaccumulative。難分解性と高蓄積性)という高懸念物質という扱いがありました。 毒性を問わず、物質の性状で難分解性と高蓄積性があれば、高懸念物質にしています。 代替の物質がないとか、いくつかの条件があり、その条件の中でしか使えないようになっています。 これも挙証責任の転換の1つになると思いますし、適用の形だと思います。 そうすると有害性が十分に証明されないというよりも、ある物質については、そのような形で大きく網を掛けてしまう。 先ほどの大竹さんの話でいくと2つ目の考え方に非常に近いことを導入していると思いました。 最後に質問です。スウェーデンでよく強調されたのは、代替原則ということです。 代替物質があるなら、予防原則を適用すればいいという考え方が当たり前のように話されていて、2つの原則がどのように関係しているのか尋ねたところ、一応違うが適用の場面ではほとんど同じような形で適用されているという回答でした。 この代替原則と予防原則ならびに予防的取組との違いについて、大竹さんと早水さんのお二人に教えていただきたいと思います。


(大竹) なぜprincipleを使いたがらないか、という説明にもありましたように、広く強く規制されるイメージがあるようです。 海洋法ではapproachを使っているようですが。EUでもMTBEなどはガソリンに入れる量を減らす、パーセンテージを下げる、という方法も一つの規制ですし、ノニルフェノールに関しては90年代から手を打っているので、予防原則に基づいて規制する必要はない、という結論もあります。 ノニルフェノールの場合、ヨーロッパは早く手を打ちましたので、農薬のノニルフェノールも減らし、新たな予防原則を用いて禁止する必要はないという結論に達しました。 ビスフェノールAに関しても、リスクアセスメントが行われましたが、まだ低用量に関してはわかっていないことがたくさんあるので、色々なプロジェクトで研究し、予防原則は適用しないように決めています。 適用するものとしないものと、PBDEのように明らかにban(注:禁止)というものもあります。

(福水) 言葉の議論はいくらしてもしょうがない話かもしれませんが、100人いれば100人同じような結論に達するのが「原則」のように思えます。 「予防」と「原則」は言葉として非常に難しいですから、日本語に訳すときに、「コンセプト」や「概念」や「考え方」と言えば、何となくわかるような気がします。 「原則」というと違和感を覚えます。 Approachというと納得するように世の中変わってきているとは思います。

(有田) 以前から「予防原則」を議論の中に入れて欲しいと希望していましたのですっきりしました。 言葉の抽象的な議論をするつもりはありませんが、「予防原則は無い」と行政の方によく言われます。 私たちは、「予防的措置」という意味で「予防原則」と言っている場合もあります。 産業界の方は「予防原則」について、強い規制のイメージを持っていらっしゃるようです。 言葉の概念を議論するつもりはありませんでしたが、今回まとめでとして議論された事が大事だと感じています。

化学物質と環境円卓会議(第8回)議事録 - 環境省

以上、まとめると次のようになる。

  • 日本や米国が好んで使う予防的取組方法(Precautionary Approach)は科学的信頼性の高い方法によるリスク評価を重視する考え方に使われることが多い。
  • EUが好んで使う予防原則(Precautionary Principle)はリスク評価を類似物質への類推へ積極的に拡大したり、「挙証責任の転換」を導入する考え方に使われることが多い。
  • 実は、国際会議で使われる意味として、予防的取組方法(Precautionary Approach)と予防原則(Precautionary Principle)には科学的根拠の差はない。
  • 日本において、予防的取組方法(Precautionary Approach)と予防原則(Precautionary Principle)は科学的根拠に差があると解釈される場合もあるが、必ずしも明確に区別されているとは限らない。
  • 日本において、原則(Principle)と取組方法(Approach)の科学的根拠に差と考えられているものは、実は、予防(Precautionary)と未然(Preventionary)の科学的根拠の差である。

国際基準 

日本の政府機関のサイトの予防原則の資料を検索すると、その殆どが環境省関連である。 環境と開発に関するリオ宣言など、予防原則に関する国際的基準も多くは環境や開発関連である。 環境省では、予防原則において科学的リスク評価(リスクアセスメント)を重視している。 これはWHOでも同じである。

もちろん、措置を取らないか予防措置を取るかの選択は関連したリスクの(決定できる範囲での)大きさに依る。 もし選択した措置の負担や費用が大きくなく、また、問題となるリスクが重大であれば、予防措置を取ることは正当化されるであろう。 予防的枠組みでは、措置がリスクの可能性に釣り合ったものであるかぎり、リスクが不確実な場合も措置が取られる。

予防的枠組みの目的は以下の二つである。

(i)健康への脅威を予想し、暴露を低減するために、物質が導入される前に適切な対応をすること

理想的には、予防的枠組みの中で考えるということは、物質の導入前に優先事項としてリスクの問題を問うということである。 例えば、「リスクが許容されるレベルは?」とか「どの程度の汚染を人間及び生態系が吸収できるのか?」ということを問う前に、積極的な予防的戦略では「目標の達成を目指しながら、どれだけの汚染を回避することができるか?」とか「未然防止のためにどのような代替案あるいは機会があるか?」ということが最初に問われる。 これらの問いは、有害性の証拠が明らかになる前に日常的に発せられるべきである。

予防的枠組みは、着手するかどうかの判断を通じて、新しい技術や物質の導入に関する最初の提案の段階からリスクを想定する。 そして導入後は潜在的な被害を監視していく。 このように、予防的枠組みは、公衆の健康政策及び措置に本来統合され、理想的には、入手できるリスク情報が不完全である場合でも情報に基づいた決定を可能にし、暴露を低減するために、広範囲の選択肢、技術及び製品の中から包括的に分析し選択するためのツールを提供する。

(ii)物質の導入後、潜在的な又は認知されているが証明されていない健康問題への考慮に対する公衆の懸念に対処すること

予防的枠組みは社会的な観点と科学的な観点を統合する。リスク認知は複雑な社会的構成概念である。 その多面性のために、提案されたリスク管理の選択肢に対し、個人により異なる対応がなされ、様々な利害関係者による多様な反応が起きる。 適切な改善策の選択は、科学的確実性の程度、被害の潜在的な重大性、影響を受ける人口の大きさ、及び、科学と社会の相互作用によるため、複雑なものとなる。

一般大衆と科学者ではリスクの存在について誤りを犯すことに対する意識が異なるかもしれない。 科学者は通常、そのリスクが現実のものであるということを認める前に、仮説試験調査により具現化された相当の根拠を必要とする。 典型的には、それが偶然に起こったことを証拠が裏付ける可能性が5%以下であるなら、科学者はリスクが現実にあると考える。 科学者は一般に、存在しないものを存在すると言わないように慎重を期す。 一方、大衆は不確実であいまいな状況に関して科学者より恐れを抱くものである。 市民は統計値とは関係なく、存在していないと考えられていたものが存在していたと判明したときよりも、存在していると考えられたものが存在していなかったことが判明したときの方が寛大である。 言い換えれば、大衆は実際のリスクを見落として欲しくないのである。

科学の役割

予防的枠組みは、科学的根拠と、社会的要因、価値観及び経験や観察との両方に基づいた観点を認め、それぞれの取組みへの基盤を提供している。 科学的リスク管理は、健康リスク評価の根拠の確実性及び適正さを評価するための、ピア・レビューを行った文献の評価に依存している。 経験や観察に基づく観点を加え、人々の価値観の妥当性を認識することにより、知識の差及び科学的評価から漏れてしまう可能性のある証拠の不足を発見することができる。 このように、予防的枠組みは科学に基づいたリスク管理に代わるものではなく、それを強化し、未知のあるいは不完全に理解されていることを評価しながら、既知のものについてはすべてを取り込むことを意図している。

通常は証拠に基づいた評価には含まれない追加情報を含むことで、予防的枠組みは、自身の経験が問題を理解するための妥当かつ知的な基礎となっているような利害関係者のニーズに応えている。 科学的に信頼すべき情報がなくても、観察や経験は示唆に富み有益であり、分析の適切な役割を担う。科学及び経験、観察の両方に基づき強化された観点は、選択肢の有効性を評価する上で助けとなり、意図しない結果の回避に役立つ。 予防的枠組みを用いて行われた市販後調査は、初期の徴候を効果的に特定するだけでなく、特に注視すべき脆弱な集団、国又は地域を特定することができる。

予防的枠組みとガイドライン

完全な科学的情報が欠如している場合、予防的枠組みは:

・既存の科学的ガイドラインに代わるものとはならない。 人間への暴露を制限するあらゆる国際的ガイドライン及び多くの国のガイドラインは、一貫性があり、再現性があり、他の研究所でも確認され、かつ人間に有害な物理的、生物的及び化学的物質への暴露のレベルを明確に特定した健康影響調査の結果に基づいている。 さらに、暴露の限度は、立証された影響について特定された閾値の不確実性を見込んだ安全係数を含んでいる。 このような健康保護への取組方法は予防的枠組みにおいても本質的なものである。

・ガイドラインの拡大及び開発には適さない。 確立されたガイドラインがある場合、暴露限度の恣意的な低減のために予防的枠組みを使用することによって、ガイドラインの科学的基礎が崩されないようにすることが重要である。

予防的措置適用の法的文脈

ある社会や社会の一部は、予防措置を採用することで健康リスクが現実であることを認めたように思われる場合、予防措置を採用したがらない。 この懸念は、一部、大衆の問題認識に関連している。 この懸念は、必ずしも完全に取り除かれないとしても、細やかなコミュニケーションによって改善することができる。 しかしながら、この懸念は一部、法律にも関連している。 つまり、予防措置の採用は責任を認めることと解釈されることもありうるし、予防措置を取る前の同様の暴露に対する責任を意味することとも解釈されうる。 また、このような行動を取る人、国家当局又は企業を、どうしてそのような行動を行い、また、それ以上行わなかったのかということを法廷で正当化しなくてはならない立場に追いやるかもしれない。

予防措置の実施にあたっては、人、国家当局又は企業は、予防措置をもっと早くとらなかったことの結果に対する責任を認めたものとみなされるべきではなく、また、実施された予防措置が必要あるいは適当であると認めているとさえみなされるべきではない。


状況における問題

既存のリスク管理の枠組みは、大部分既知のリスクを取り扱っている。 これらの枠組みは問題を特定し、事実(証拠)及び測定を基にして、状況に照らし合わせる。 指針や制限は便益費用分析に従って設定される。 いったん法令、指針や制限が設定されると、測定に基づいて、これらの基準を順守していない場合に問題が存在するとみなされる。 有害であることが知られている物質に類似した化学的あるいは物理的属性を持つ物質のように、潜在的な根拠がある場合には、潜在的な問題(既知のリスクがない問題等)が検討される。

予防的枠組みは不確実なリスクの点から定義される問題を含む。 すべてのリスクはある程度不確実なものであるが、本稿では不確実ということは、従来の科学的基準によって立証されず、その大きさだけでなく存在についても不確実なリスクを示している。 有害な影響が生じるかもしれないということは、許容できないリスクをもつ他の作用、製品あるいは状況からの類推による、あるいはどのように被害が引き起こされるかについての(必要に応じてピア・レビューがなされた)相当な論理的理由があることを示すことによる、あるいは相当量の科学的に未知なものを特定することによる、経験や観察のみに基づいた根拠に由来する。 ここでは、経験、推論、認知が主要な役割を果たす。 不確実なリスクもまた、既知のリスクとして定義するには不十分で、確定的でなく、あるいは不正確だと考えられるような証拠を有しているかもしれない。 予防的行動を検討する際に、リスクの事実に基づく根拠が弱いか主観的な状況では特に、不確実なリスクを説明することが重要な問題であると認識されなければならない。

予防的枠組みはリスクのある部分だけに集中することを意図していない。 例えば、一つのリスクの制御は他のリスクを増大させるかもしれない。 予防的枠組みはリスク全体に焦点を当てるような方法で適用されることを意図している。


リスク査定

既存のリスク管理の枠組みは既知のものに焦点が当てられており、科学が主要な役割を果たしている。 科学は厳密で、学際的でなければならず、その評価は証拠の重みに基づいている。 しかし、適切なリスク査定に必要な不確実性と仮定もまた特定されなければならない。 有害性の存在、暴露の大きさ、そして病気の発病率や重大性と暴露の関係等、査定のどのレベルにおいても不確実性が存在し得る。 科学的調査が十分な説得力をもつ程ではない場合、他の根拠からの仮定や推定が利用される。 可能なら予想される影響の範囲を提示することが望ましい。

最良の予防的枠組みは先制的なものであり、未知のものや不確実なものを明らかにしようと試みる。 この点で予防的枠組みは、従来の、証拠に基づいた既知のリスクに対する査定を拡大する。 重要な証拠(例:疫学あるいは実験調査)が欠けている場合は、関連する知識のギャップについての記述が特に重要である。 現在の知識の限界やギャップの評価は科学により決定できるし、決定されるべきである。 何が未知かを特定することは、全ての活動や暴露について政策が策定されるべきであるということを意味しない。

環境政策における予防的方策・予防原則のあり方に関する研究会報告書資料8.WHO:公衆の健康保護のための予防的枠組み - 環境省P.305

国際化学工業協会協議会(ICCA)も同じである。

Q6.予防原則を適用する場合、どのような対策が実施されるのでしょうか。

A6.

実際に予防原則を適用しようとする場合、いきなり「禁止するか、放置するか」の議論だけではありません。 その適用が決定された場合も、予想されるリスクの大きさ、リスクの蓋然性、費用対効果などによって、種々の対策と方法が実施されることになります。 これらはすでに現行のリスクマネジメントで行われているものと同様です。


Q7.予防原則を適用するにあたっての問題点は

A7.

予防原則に関しては、未だ正式な定義、解釈が存在しないこと、科学的不確実性がある中で適用されるものであることなどから、次のような問題点が指摘されています。

(1)「極端な」解釈

予防原則の適用に関しては、正式な定義がないことから、政府、産業界、環境団体などの関係当事者が、それぞれの立場、姿勢に基づき、解釈し意見を表明してきたのが現状です。 したがって、それらの解釈、意見の中には、科学的なリスクアセスメントの実施やリスク削減策における費用対効果の検討などを考慮することなく、「予防原則適用=少しでも疑わしきものはすべて禁止」「不確実性に係る責任を一方的に製品開発側に負わせるべき」といった、極端と言わざるを得ない解釈も一部で主張されています。


Q13.予防原則に関するICCAの見解

A13.

国際化学工業協会協議会(ICCA)の予防原則に関する見解は、2000年10月のヒューストン総会で承認されたPositionPaper「規制の決定における予防原則の適用原則」にて示されています。

その中で、ICCAはリオ宣言の第15原則を支持しています。また、予防原則適用にあたっては下に示す9つの原則に則るよう主張しています。

一方、化学産業界としては予防原則の基本的理念はレスポンシブル・ケアとして従来より取り込んでおり、その更なる充実した活動によって社会に貢献していく、としています。

政府に対しては、予防原則適用に関し、リスクに基づく科学的に正しいアプローチを求めています。さらに、予防原則の適用過程における、公開性・透明性の確保並びに化学産業界の参加を求めています。

以下にICCAの予防原則適用原則を示します。


第5原則:

予防原則にもとづく対策は、制限または排除すべきリスク;そのリスクに付随する不確実性の度合い;およびそのリスクに対する取り組み方に見合ったものでなければならない。

環境政策における予防的方策・予防原則のあり方に関する研究会報告書資料14.予防原則Q&A((社)日本化学工業協会) - 環境省P.612,619-620

まとめ、 

このように、予防原則の国際基準は不確実性の程度に応じて対応をとることとなっている。

従来までの方法では、科学的に信頼性の高い方法でリスク評価を行なう。 しかし、そうした科学的に信頼性の高い方法でリスク評価が適切に行えない場合はどうするのか。 その場合、比較的に科学的に信頼性の劣る方法を採用し、かつ、その方法の不確実性をも含めてリスク評価を行い、危険を未然に防止することが予防原則の考え方である。 つまり、予防原則とは、決して、非科学的な方法を導入することではない。

例えば、EUでは、ある物質が危険であると分かっている場合、それと化学構造の似た物質は安全だと分かるまでは暫定的に危険物質として扱う。 このような類推法は、科学的には不確実性を伴う。 しかし、その不確実性に比して社会的必要性の程度が大きい場合は、不確実であっても規制する必要がある。 国際的基準における予防原則では、こうした予測の不確実性も含めて総合的にリスク評価を行う。 不確実性の評価をどの程度とするかについて各国の意見は分かれているが、不確実性の程度やリスク評価を無視するような考えは導入されていない。

急進的活動家による定義 

一方、世の中には、原告の主張と同じく、不確実な危険性と確実な危険性を全く同列に扱えと主張する人もいる。

予防原則の例(1)

地球サミットでのリオ宣言(1992年)第15原則

重大な、あるいは不可逆的な損害の恐れがあるときには、完全な科学的確実性が欠けていることが、環境悪化を防ぐための費用効果的な対策を延期するための理由として用いられてはならない

※「費用効果的な」という修飾が入っている。現実的な定義。


予防原則の例(2)

予防原則に関するウイングスプレッド宣言(1998年)

環境や人間の健康に危害をもたらすおそれのある活動に対しては、一部の因果関係が科学的に完全に確立されてなくとも、予防措置が講じられるべきである

※「費用効果的な」という制限が入っていないために、よりラディカルな定義。極端で原理主義的。

「予防原則」は役に立つか? - 独立行政法人産業技術総合研究所

このような人達にとっては、不確実な危険性と確実な危険性を全く同列に扱わない場合、すなわち、確実性の程度に応じた対応を取っている場合は何も予防活動を行っていないに等しいらしい。 では、この「予防原則に関するウイングスプレッド宣言」とは何か。

他方、科学者や環境活動家の中には、政府機関や国際機関とは異なった予防の考え方も登場している。 例えば、予防原則についてのウィングスプレッド宣言(1998年)では、従来のリスクアセスメントに代わる新しい概念としての「予防原則」を採用するよう呼びかけている。

環境政策における予防的方策・予防原則のあり方に関する研究会報告書 - 環境省P.5


1998年、米国ウィングスプレッドのジョンソン財団本部に、米国、カナダ、ヨーロッパの科学者、哲学者、法律家、環境活動家32人が集まり、予防原則の定義とその実行について議論した。 参加者は、健康と環境に関する意思決定においては予防原則が必要であるとの合意に達し、政府や企業、地域社会及び科学者に対し、意思決定において予防原則をとるよう呼びかける声明を発表した。

環境政策における予防的方策・予防原則のあり方に関する研究会報告書資料1.国際協定等における「予防」の位置付け(年表と個表) - 環境省P.56


1998年,米国のウィスコンシン州ウィングスプレッドにおいて環境NGOによる「予防原則に関するウイングスプレッド声明」が発表された。

農林水産政策研究第8号【研究ノート】予防原則の意義[藤岡典夫] - 農林水産政策研究所P.46


例えば、1998年1月に、科学者、哲学者、法律家、環境活動家たちが、ジョンソン基金本部(米国)に集まって「予防原則に関するウィングスプレッド会議」を開催し、政府や産業界、科学者などに対して、政策決定を行うにあたっては予防原則を適用するように要求する声明を出している。

ナノマテリアルの安全性 : EUの化粧品規則制定をめぐって - 国立国会図書館P.10

つまり、ウィングスプレッド宣言は、僅か32人の急進的な活動家らが政府機関や国際機関とは異なった独自の定義の「予防原則」を採用すべきだと宣言しただけであって、賛否両論の一翼でさえない。 もちろん、国際基準には全く遠く及ばない。 国際基準は、科学的信頼性の高い方法によるリスクアセスメントを求め、それで対応が十分ではない場合に限って、比較的に科学的信頼性の劣るリスクアセスメントを許容している。 それに対して、このウィングスプレッド宣言は、科学的手法を完全否定するばかりか、リスクアセスメントまで完全否定している。 さすがにここまで来るとトンデモと言って差し支えない。 科学者も多数含まれているのに「活動家ら」という括りにするのはおかしいと主張する人もいるかも知れないが、科学的手法を根本的に否定する主張である以上、科学者という肩書きは意味を全く為さない。

リスク評価(リスクアセスメント) 

予防原則の国際基準によれば、予防原則はリスク評価(リスクアセスメント)に基づいて行なうべきとされている。 しかし、残念ながら、こうした予防原則の国際基準の中から、具体的なリスク評価(リスクアセスメント)のやり方に関する記述を見つけ出すことはできなかった。 そこで、世界的な流れとして、医療に限らず、各分野において、整備されつつある安全管理制度におけるリスクアセスメントについて調べてみる。 対象分野により具体的な内容に差はあるが、一般的なリスクアセスメントでは、被害規模の大小と発生可能性の大小の両方を評価対象とする。 これは、予防原則の国際基準の基本的考え方と同じであり、被害規模の大小と発生可能性の大小に応じたリスク対策が求められる。

イレッサ訴訟の場合 

まとめると、予防原則の国際基準においては、発生可能性に応じた対応を取るべきであり、そう判示した両高裁の判断は予防原則に合致したものである。 漠然とした可能性も確実な情報と同列に扱えとするイレッサ訴訟原告の主張の方が、世界の常識に反したトンデモなのだ。 予防原則の国際基準をイレッサに当てはめると次のとおりとなる。

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