薬害エイズの真相

郡司篤晃氏の時代 

郡司レポートで有名な郡司篤晃元生物製剤課長の言い分によれば、薬害エイズの真相は報道内容とはかなり違っているようだ。 尚、以下の内容は本人談であるので、内容の真偽については保証できない。

重要なポイントだけを拾い上げてみる。

  • 献血から血液製剤を作るべきとするWHO勧告に対して米国だけが逆らったため、米国企業は血液分画製剤の世界市場でほぼ独占的な地位を築いた。
  • 濃縮製剤は数千人もの人の血漿を1つの釜に入れて凝固因子を分離するため、そのうちの1つの血漿が汚染されていると全体が汚染される(筆者注:クリオ製剤と濃縮製剤の安全性の差は、原料によるものではなく、製法によるものである)。
  • 民間の血液銀行からの輸血でライシャワー大使が肝炎に感染したことが切っ掛けで、日本の血液の供給は献血で行い、その事業が日本赤十字社が独占的に行うこととなった。
  • ただし、立法措置がなかったため、他の国内血液製剤企業は血漿分画製剤へ方向転換した。
  • 日本赤十字社は、転用血(期限切れの全血製剤)を原料にしたアルブミン製剤以外の血液分画製剤は作っていなかった。
  • 次のような理由により日本赤十字社の原料血漿は製薬会社には渡らなかった。
    • 汚染の危険性が高いから委託製造は想定していない。
    • 製造過程で原料血漿に含まれている因子の90%ほどを捨てる濃縮製剤を血液資源の無駄使いとして日本赤十字社は嫌がった
    • 日本赤十字社は、営利追求だと非難されたくなくて、企業に献血を渡すことを嫌った。
    • 日本赤十字社は、献血率が落ちることだけを心配していた。
  • 当時の献血制度では供血者の安全性が最優先されて200ccの全血採血のみだった。
  • 他国で実績のある成分献血や400cc採血の研究が日本でも進められていたが研究速度はゆっくりだった。
  • 1982年当時、世界の血漿総量の3分の1以上を日本が一国で消費しており、国際学会から日本は非難されていた。
  • 郡司篤晃が生物製剤課長に就任した当時、血液事業が最も行政的に対応すべきなのに後手に回っていた。
  • しかし、マスコミのネガティブ・キャンペーンにより血液行政はダーティ・イメージがあって、課内の誰もが手を付けるのを嫌がった。
  • 生物製剤課長に就任して、まず、成分献血の採漿基準づくり、採漿間隔の短縮に取り組んだ
  • 知人からの手紙により血液製剤によるエイズ感染の可能性を知り、すぐに研究会を召集した。
  • 濃縮製剤をクリオ製剤に転換すべきとする論文もあったが、反論も多数あった。
  • 当時の日本人血友病患者には、エイズ特有の症状は確認されていなかった。
  • 1983年5月の論文でエイズの病原体はHTLV-I型だとされた(これは後に覆る)。
  • HTLV-Iならば発症者が出たとしても1人か2人程度であり、濃縮製剤の製造過程の冷凍保存で死滅することが期待された。
  • 1983年6月、国際血友病学会大会にて、現時点では血友病の濃縮製剤による治療は変えるべきではないとされた。
  • 1983年9月、血友病患者団体「血友病友の会」の代表がエイズの危険があっても治療法を後退させないようにと陳情しに来た。
  • 血液製剤輸入停止を想定して、血友病の治療に必要な因子が国内自給可能かどうか血液製剤小委員会において検討することとした。
  • クリオは自己注射ができないため、血友病患者が普通の人と同様の生活を送るためには、クリオへの後戻りは最後の手段であった。
  • 加熱製剤は原料が3倍必要であり、原料の確保が困難であった。
  • 米国の加熱濃縮製剤の製造承認は、B型肝炎対策であって、エイズ対策ではなかった。
  • 日本では効果の優れたB型肝炎のワクチンが製造承認寸前だったので、B型肝炎対策としての加熱濃縮製剤は必要なかった。
  • 米国の血友病患者のエイズ発症者数が増加したため、加熱製剤対策を検討せざるを得なくなった。
  • 原料をあまり増やさなくて良い加熱方法が開発されたが、その製法ではウィルス不活性化が不十分であった。
  • 1984年5月の論文でエイズの病原体がHTLV-IIIと特定され、検査法が確立できたとされた。
    • 潜伏期間が異常に長く、発病率も高いため、誰も知らないうちに既に感染は広がっていたと考えられる。
  • 郡司篤晃は1984年6月に異動となり、加熱製剤の開発に踏み切ったので、エイズ対策としては打つ手はすべて打ったと思っていた。
  • 血液事業の構造問題に取り組まなければならないと引き継いだはずで、後任者もそのように取り組んだ。
  • 1984年9月の論文で加熱によるエイズビールスの不活化が報告された。

これが真実であるならば、薬害エイズ報道のほとんどはデタラメということになる。 より簡潔にまとめると1983年当時は次のような状況だった。

  • 日本の献血はほとんど血液製剤に使われておらず、血漿自給率を増やそうにも、供血者の安全性の問題があって、なかなか成分献血や400cc採血に踏み切れなかった。
  • 当時の医学的知見では、非加熱濃縮製剤によるエイズの感染リスクが高いとは考えられていなかった。
    • 1982年頃からエイズ予防のために濃縮製剤を止めるべきとする見解があったが反論も多数あった。
    • 1983年6月の国際血友病学会大会では濃縮製剤による治療からの変更(クリオ製剤への回帰等)はすべきでないとされた。
    • 1983年の5月のR.C.Galloらの論文を真に受ければ、非加熱製剤によるエイズの感染リスクは極めて低かった。
    • 非加熱製剤によるエイズの感染リスクの高さや加熱処理によるリスク低減が判明するのは少なくとも1984年以降であった。
      • エイズウィルスが初めて同定されたのは1984年5月発表の論文。
      • 加熱処理によりエイズウィルスの不活性化が初めて報告されたのは1984年9月の論文。
      • 加熱製剤へ転換すべきとした国際的な統一見解は1985年4月のWHOの勧告(後述の裁判記録による)が挙げられる。
      • 米国は1983年5月に加熱製剤を承認したが、それはB型肝炎対策(日本では別の対策が考えられていた)であってエイズ対策ではない。
  • 血友病治療の後退となるクリオ製剤への回帰は現実的選択ではなかったし、クリオ製剤も100%安全ではなかった(クリオ製剤=国内原料という報道は間違い)。
  • 当時の加熱製剤は技術的に克服すべき課題が大きく国内の需要を満たせるものではなかった。
    • 製造効率が良い物はウィルス不活性化が不十分だった(B型肝炎ウィルスで確認)。
    • ウィルス不活性化が充分な物は製造効率が悪いために原料が不足する。
      • 世界の血漿総量の3分の1を消費する日本が、3倍の原料を必要とする加熱製剤へ転換するのは、物理的に不可能だった(全世界の血漿を日本が独り占めしないといけない)。
この件については、安部英医師「薬害エイズ」事件の真実 誤った責任追及の構図にも次のように書かれている。

・血液製剤の前はクリオ製剤を用いていた。クリオ製剤は血液製剤と比べ有効成分の「薄い」ものであり、また有効成分以外の生体由来成分も入っていたので副作用が大きかった。 またクリオ製剤は医療機関において点滴で患者に投与しなければならなかったが、血液製剤は患者自身が自己注射することで投与でき、患者の安全性やQOLがクリオ製剤と比べて高まった。
・また、クリオ製剤に比べて血液製剤は優れている点が多かったので、当時の製薬会社の製造ラインはほぼすべて血液製剤に切り替わっており、クリオ製剤の入手はきわめて難しかった。
・以上の2点から、「血液製剤に危険性がある可能性があったのだから、クリオ製剤を用いた治療に戻るべきだ」という検察の指摘は的外れである。
・また、治療方法を戻した際、患者の安全性や治療効果、QOLは大幅に低下する。 血液製剤のベネフィットとリスクを天秤にかけた場合、当時の最新の医学知識をもってもベネフィットのほうが大きかったし、諸外国の各学会もそう主張していた。
仮にクリオ製剤を用いた治療に戻り、それでアナフィラキシーショックが患者に起こり結果として死亡した場合、「(当時の)標準的治療から外れ危険な治療を行った」という理由で医師が逮捕されたかもしれない。 また現に血液製剤からクリオ製剤に治療方法を戻した医師は存在しなかった。
『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』を読んで-医療ガバナンス学会(http://medg.jp/mt/2008/12/-vol-187.html)

ようするに、1983年当時は、非加熱濃縮製剤によるエイズ感染の危険性は国際的にも過小評価されていたし、当時の技術での対応も難しかった。 それでも、米国のエイズ患者の増加から血液製剤による感染の可能性を完全には否定できないことを察知したのだろう。 郡司篤晃氏は、早期対応の方針を打ち出して、制度を整備し、1983年の11月に製薬会社への説明会を実施しているのである。 実は、エイズの潜伏期間が長いために顕在化していないだけで、この時点で既に手遅れだった可能性もある。 そうしたことも考慮すれば、当時の厚生省の対応に落ち度があったとはとても言えまい。 それどころか、事前に可能性を察知して、早期に対応をとっていると言える。

後任者 

では、後任者はどうであったのか。 同文書には「採漿基準は1986年に承認された」と書かれている。 後任者は1984年7月16日から1986年6月29日まで生物製剤課長を努めている。 基準が作成されて承認されるまでにも何ヶ月か必要であろうことを考慮すると、どうやら、この後任者が在籍中に採漿基準が取りまとめられたようである。 さて、その後のことについては、最高裁判決に書かれている。

イ 米国立衛生研究所及び米国防疫センターと国連世界保健機関(WHO)とが共同で企画したエイズに関する国際研究会議が,昭和60年4月15日から同月17日まで米国ジョージア州アトランタ市で開催され,日本からは厚生省AIDS調査検討委員会会長塩川優一医師,同省エイズ診断基準小委員会委員長栗村敬医師,国立予防衛生研究所外来性ウイルス室長北村敬医師が出席した。そして,同会議直後の同月19日,WHOは,加盟各国に対し,血友病患者に使用する血液凝固因子製剤に関しては,加熱その他,ウイルスを殺す処置の施された製剤を使用するよう勧告し,同勧告を紹介した上記北村医師執筆に係る報告記事が,「日本医事新報」誌同年6月8日号に掲載された。また,同年11月,当時の厚生省薬務局長は,国会答弁で繰り返し「加熱第IX因子製剤についても大急ぎで優先審査していること,年内には承認に至ること,そうなれば血友病患者に使用する血液凝固因子製剤はまず安全であること」等の認識にあることを表明していた。さらに,同年12月19日の中央薬事審議会血液製剤特別部会血液製剤調査会(第8回)において,委員の間から,「加熱製剤が承認されたときには,非加熱製剤は使用させないよう厚生省は指導すべきである」旨の意見が出されて,座長の要望により,調査会議事録にその旨の記載がされ,同月26日の血液製剤特別部会(第4回)においても,委員から同旨の意見が出され,厚生省の係官によって,議事録には「血液凝固因子については,加熱処理製剤を優先的に審査し,承認していることから,非加熱製剤は承認整理等を速やかに行うべきであり,また非加熱製剤のみの承認しかない業者には早急に加熱処理製剤を開発するよう指導するべきである」旨の意見としてまとめられ,被告人にも,各議事録は供覧されていた。
ウ 被告人は,昭和60年3月下旬ないし同年4月初めころ,生物製剤課長として,HIV不活化効果が報告され,当時臨床試験が行われていた加熱第VIII因子製剤の早期承認を図る方針を示し,その結果,同年7月には製薬会社5社の加熱第VIII因子製剤が承認された。さらに,被告人が,同月,生物製剤課長として,加熱第IX因子製剤についても,その承認を急ぐ方針を示した結果,同年12月,カッター・ジャパン株式会社(以下「カッター」という。)及びミドリ十字の加熱第IX因子製剤が輸入承認され,昭和61年1月までにはこの2社による同製剤の販売が開始された。
平成17(あ)947業務上過失致死被告事件平成20年03月03日最高裁判所第二小法廷(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080522113858.pdf)

課長交代後、国際的な知見は大きく変わり、1985年4月19日、WHOから加熱製剤を早期に承認すべきという勧告が出ている。 それを受けて後任者は、加熱製剤の早期承認のために尽力している。 皮肉なことに、そのことが、後の非加熱製剤の回収を怠った「不作為の罪」の根拠とされた。 当人からすれば、「えっ、そこまで俺の仕事?」という認識なのだろう。 確かに、血漿国内自給率を増やす方策を実現し、かつ、加熱製剤の早期承認のために尽力した功労者に、非加熱製剤の回収の不備について、彼1人に全責任を負わせるのは酷なような気がする。 不作為を罵倒するのであれば、同時に作為を賞賛するべき 元課長の功績についてそろそろ言っておくか-memorandum とする意見には一理ある。 しかし、回収指示の権限が生物製剤課長に集中していたのであれば、法的責任が問われるのは止むを得ないだろう。

エイズ研究班班長 

2 摘示された事実又は前提とされた事実の真実性
平成8(ワ)13874損害賠償等請求平成14年01月30日東京地方裁判所(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/AC50F76FC0E0827649256B5A000735C1.pdf)


(4)本件記載①ないし③について
本件記載①ないし③は,原告が昭和58年11月以降,加熱製剤の開発が遅れていたミドリ十字に合わせて加熱製剤の全体の治験を遅らせ,その結果,日本での加熱製剤の製造承認が昭和60年7月にずれ込んだという事実を摘示するものである。 この摘示事実のうち,昭和58年11月当時,ミドリ十字の加熱製剤の開発が遅れていたという事実は,以上の認定事実によれば,真実であると認めることができる。 問題にされているのは昭和60年7月の加熱製剤の製造承認であり,その時に同時に承認を得た他の製剤メーカー4社,すなわち,ヘキスト,トラベノール,化血研,カッターと比べると,昭和58年11月当時,ミドリ十字の加熱製剤の開発が遅れていたことは明らかである。
摘示事実のうち,原告がミドリ十字の開発の遅れに合わせて加熱製剤の全体の治験を遅らせたという事実についても,以上の認定事実によれば,真実であると認めることができる。 原告は,昭和58年12月,製剤メーカーに対する治験説明会において,共同治験・統一申請の方針を表明し,昭和59年3月に第II相試験に着手するという治験案を示している。 そして,既にいつでも治験を実施することができる態勢になっていたヘキスト,トラベノール,化血研に対しては,第I相試験の実施を指示している。 しかし,この第I相試験については,同年11月の厚生省説明会で,必要がないという厚生省の見解が示されており,この12月の治験説明会でも,血液製剤小委員会の委員である医師から実施に反対する発言もあった。 これらの事実経過を考慮すると,原告は,治験の実施が可能な態勢にある製剤メーカーから速やかに治験を開始しようというのではなく,昭和53年の非加熱製剤の治験の時と同じように,共同治験という形でまとめて治験を実施しようとしていたものということができる。 ところが,ミドリ十字は加熱製剤の開発が遅れていたから,ミドリ十字を含めた共同治験とするためには,必然的に他のメーカーを待たせることになる。 すなわち,原告は,共同治験を実施しようとして,ミドリ十字の開発の遅れに合わせて加熱製剤の全体の治験を遅らせたものといわなければならない。
平成8(ワ)13874損害賠償等請求平成14年01月30日東京地方裁判所(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/AC50F76FC0E0827649256B5A000735C1.pdf)

これによれば、原告(エイズ研究班班長)は、厚生省が不要としたはずの第I相試験を実施させるというやり方で、開発の早い製造会社の治験を遅らせている。 厚生省による説明会が1983年11月、第II相試験の共同治験開始が1984年3月であるから、遅らせた期間は約5ヶ月と計算できる。

一方で、安部英医師「薬害エイズ」事件の真実 誤った責任追及の構図には次のように書かれている。

・加熱血液製剤はエイズ対策ではなく、B型肝炎対策で開発された。また、加熱製剤固有の危険性(加熱による変性たんぱく質の危険性、薬効の大幅低下)も存在した。
・故に安部氏も安全性の見地から、「加熱製剤の治験を慎重に行うべき」と主張したのだが、それを「加熱製剤の承認を遅らせるために治験を慎重に行えと言った」とマスメディアは報道した
・ミドリ十字が加熱製剤の開発が遅れていたので、他の会社と一括で申請させることで遅いミドリ十字に他社の足並みをそろえさせた、という主張があるが、ミドリ十字の開発は遅れていなかった
・また、一括で申請させることで治験や審査にかかる時間を大幅に短縮した。
『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』を読んで-医療ガバナンス学会(http://medg.jp/mt/2008/12/-vol-187.html)

事実関係について実際にどうであったのか断定的な事を言うのは難しい。 仮に治験を遅らせたことが事実であると仮定すると、この治験を遅らせる行為には問題があるだろうか。 医療産業の空洞化によって受ける国民の不利益を考慮すれば、国内製薬産会社を保護することは、一定程度の妥当性がある。 例えば、何らかの病期が世界的に流行して医薬品が不足したとき、製薬産業の空洞化が生じていれば日本に必要な医薬品が入って来ないという事態も考えられる。 そのような事態を避けるためには、医療産業の空洞化への対策は必要なことと言えるだろう。 とはいえ、可及的速やかに対処すべき危険性と比べれば、医療産業の空洞化への対策の優先度は低い。 よって、この時点で非加熱製剤によるエイズの感染リスクの高さや加熱処理によるリスク低減が判明していたならば、可能な限り治験や承認を急ぐべきなのは言うまでもない。 しかし、前述のとおり、この頃は、まだ、非加熱製剤によるエイズの感染リスクの高さや加熱処理によるリスク低減は判明していない。 つまり、この頃の医学的知見では、約5ヶ月の遅れが致命的になると予想できたとまでは言えない。 このような状況では、国内製薬産会社を保護するために外資系企業等を約5ヶ月遅らせたのであれば、国民の医療水準の観点だけを見れば不当な行為とまでは言えないだろう。 もちろん、企業間の公平性や競争原理の観点では問題があるし、仮に、この行為に伴う金銭授受があったとすれば、それは看過すべきではない問題である。 しかし、国民の健康に重大な支障を及ぼすことを予見できたとは言えないのだから、国民の医療水準の観点においては問題があったとまでは言えない。

一方で、郡司篤晃氏は、国際的な知見が確定していないことも踏まえたうえで、血液製剤によるエイズ感染リスクを重視すべきと認識していた。 前述のシンポジウムによれば、郡司篤晃氏は、可能な限り加熱製剤の早期開発を優先させたかったからこそ、制度の整備や説明会を急いだと解釈できる。 もしも、本当にエイズ研究班班長が治験を遅らせたのであれば、当時の彼の血液製剤によるエイズ感染リスク認識はかなり呑気なものであったと言わざるを得ない。 生物製剤課長が持っていた危機感をエイズ研究班班長と共有できなかったのであれば、当然、反省すべきことだろう。

問題の構図 

郡司氏の主張が正しいとするならば、この問題は、郡司氏や後任者だけに責任を押しつけて良い問題ではない。 郡司氏が生物製剤課長に就任する前に、血漿国内自給率の問題が解決されていれば、薬害エイズ問題などは発生しなかったのである。 それは、厚生省薬務局生物製剤課の職務怠慢だけでなく、献血で商売するのはケシカランと叩いたマスコミ、および、マスコミに踊らされた国民にも責任がある。 つまり、薬害エイズは、ありもしない陰謀を捏造して必要以上に行政の責任を追求したことにより、血漿国内自給率の問題が棚上げされてしまったことに大きな原因がある。 これは、今、まさにイレッサ薬害訴訟にて起ころうとしていることと全く同じ構図であろう。

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