J&T治験塾への反論

追記 

J&T治験塾に反論らしきものが載っているので再反論しておく。 結論から言うと、J&T治験塾の主張は全く反論になっていない。

因果関係の立証は、原告にとってもたいへんな作業ですが、被告側の反証もまた大変です。 塾長は筋拘縮症訴訟やスモン訴訟の被告側事務局として、因果関係の反証に苦労した経験があります。 新潟筋拘縮症訴訟では、やっとのことで「患児の障害がメロリオストーシス(Melorheostosis;流蝋骨症)によるものである」との反証に成功し、訴えの取り下げを勝ち取ったことがあります(当時は過失責任の下での訴訟)。

公演記録と資料集 - J&T治験塾

「被告側の反証もまた大変」は被害者の立証責任の転換・軽減とは全く関係がない。

このような経験と升田論文:以下該当個所を踏まえ、お話しした次第です。

→ 「・・事実的な因果関係の存否は、多くの製品事故においては、その判断が困難ではないが、実際には、製品の欠陥の有無が争われているような場合には、事実的な因果関係の存否の判断が困難であることが多い。 法理論的には、製品の欠陥の有無と、事実的な因果関係の存否は別個の問題であるが、製造物責任の実務上は、両者が密接に関連して問題になるのが通常であり、証拠関係も重複することが少なくないため、関連して判断されることになる(このような事情は、過失責任の下において、過失の有無と、事実的な因果関係の存否との間に同様な問題が生じていた)」との記述(P816の後から5行目以下)があり、続けてP817では次のような記述があります。 「また、事実的な因果関係の存否は、実際上製品の欠陥の有無と密接に関連した問題であるため、製品の欠陥の特定・具体化の問題とも密接に関連している。 前記のように、製品の欠陥の特定・具体化の程度を詳細に要求すればするほど、その欠陥との事実的な因果関係もそれに応じて詳細なんもの、詳細な因果のメカニズムが必要になるため、それだけ製品事故の被害者の立証負担が重くなる。 逆に、製品の欠陥の特定・具体化の程度を抽象的なものであれば足ると解すると、それだけ被害者の立証負担が軽減される。 製品の欠陥の特定・具体化については、前記のように、社会常識を基準として欠陥といえる程度において具体化されていれば足ると解するのが相当であるから、被害者としては、その程度に具体化された欠陥を前提として事実的な因果関係を証明すれば足りることになる(升田純「詳解 製造物責任法(有斐閣)」の第二編 第二 製造物責任法の逐条的考察(4)事実的な因果関係P816以下)」。 なお、升田先生は法務省民事局参事官としてPL立法に携わられました。本論文のご執筆当時、東京高等裁判所判事をなさっていました。

公演記録と資料集 - J&T治験塾

「升田論文」の引用部は、J&T治験塾がすべき反論とは全く掛け離れた内容である。

最初のJ&T治験塾の主張は、「そこのホームページ」における「東京地裁や大阪地裁は因果関係について判断していない」に対する反論としての「PL訴訟の実務では、警告上の欠陥が認定されると、同時に因果関係も認定される、といった枠組みで判断するというのが裁判実務です」という一文である。 では、この一文はどのような意味で書かれているのか。

  • 欠陥以外の「被害者の立証負担」を零にすることを意味するなら、「升田論文」の引用部では反論になっていない
  • 欠陥と因果関係を並行して検証することのみを意味し、欠陥以外の「被害者の立証負担」を零にすることを意味しないなら、この一文は反論対象に対して何も反論していない

まず、前者について。 「升田論文」の引用部P.816に書かれていることは、欠陥と因果関係の「証拠関係も重複することが少なくない」ことである。 「升田論文」の引用部P.817に書かれていることは、欠陥の「被害者の立証負担」を軽減すれば、結果として、因果関係の「被害者の立証負担」も軽減されるということである。 いずれも、欠陥以外の「被害者の立証負担」を零にするとまでは言ってない(P.817は、欠陥以外の「被害者の立証負担」の軽減すら論じていない)。

次に、後者について。 「そこのホームページ」における「東京地裁や大阪地裁は因果関係について判断していない」とは、因果関係のうち欠陥以外についての判断がないこと指している。 「そこのホームページ」では、欠陥に関する判断をしていることは認めているのだから、当然、そういう解釈しかあり得ない。 実際に、原告が公開した判決文には、欠陥についての判断のみが掲載され、それ以外の因果関係の判断は一切示されていない。 そして、「そこのホームページ」では、そのことも明確に指摘してある。

本件はイレッサの地裁判決に関することであって裁判一般論の話ではない。 一般論としてどうであれば、イレッサの地裁判決文に掲載されていない以上、一般論では反論にならない。 百歩譲って、一般論では「同時に因果関係も認定される」はずだからイレッサの地裁判決文でも何処かに書いてあるはずだと言いたいと解釈しよう。 だとしても、「判決文の何頁に○○と書いてある」のように具体的に指摘しないのではただの言い掛かりである。 それは「そう言いたいのであれば、具体的にどのように因果関係を検証したのかを示せば良い」と書いた通りである。

尚、「同時に因果関係も認定される」と言う以上、原告が公開した頁の中にあるはずである。 仮に、非公開部分にあるとしても、原告側副団長をゲストに招いている以上、その辺の情報を得ていないわけがない。 具体的情報を得ずに一般論だけで断定的なことを言っているなら論外であろう。

以下、余談。 「証拠関係も重複することが少なくない」のは当然である。 何故なら、因果関係を立証することは次の二つが両方とも成り立つことを証明することだからである。

  • 欠陥があり、かつ、損害も発生した
  • 欠陥がなければ、損害は発生しなかった

また、製造物責任法の定義によれば、欠陥とは「通常有すべき安全性を欠いていること」である。 損害との因果関係が発生し得ないのであれば「通常有すべき安全性を欠いている」とは言えない。 よって、欠陥が存在するのであれば、一般論として因果関係が発生し得ることを意味する。 ただし、あくまで一般論としての因果関係の発生可能性であって、個々の事件における因果関係の証明にはならない。 因果関係の判例となった東大ルンバール事件では、因果関係の発生可能性と他に原因がないことを立証すれば、法的な因果関係が成立するとしている。 そうした立証方法を取れば、欠陥の存在以外の部分も「証拠関係も重複する」ことになる。 尚、イレッサ訴訟については、当初の被害発生とその後の被害縮小の原因に関連性があると考えられるから、被害縮小の原因が添付文書の記載方法の変更以外にないことを示せば良い。 しかし、添付文書の記載方法の他、マスコミ報道や緊急安全性情報があり、他の原因のほうが可能性が高そうなので、立証は困難である。

オチ 

大阪地裁判決について裁判所サイトが判決文を公開している。 裁判所サイトでは、原告が公開していない範囲を含めた全ての内容を閲覧できる。 それによれば、因果関係は原告が公開しなかった範囲に理由が述べられていた。 どういうわけか、製造物責任の判断より後に因果関係の判断が書かれているという不思議な構成である。 つまり、因果関係だけは他と切り離して別個に判断されていたのだ。 ということで、少なくとも、大阪地裁判決については、J&T治験塾の「警告上の欠陥が認定されると、同時に因果関係も認定される」が大嘘であると判明した。 おそらく、東京地裁判決も同様に原告が公開していない範囲に述べられているのであろうと推測される。

因果関係 

そこのホームページでは、東京地裁や大阪地裁は因果関係について判断していないことはけしからんという主張をしています。 しかし、PL訴訟の実務では、警告上の欠陥が認定されると、同時に因果関係も認定される、といった枠組みで判断するというのが裁判実務です。
資料⑥塾長医法研5月度月例会講演録-J&T治験塾-J&T治験塾(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?members3.jcom.home.ne.jp/jaspertsuji/pdf/20110921-6.pdf)

「PL訴訟の実務では、警告上の欠陥が認定されると、同時に因果関係も認定される、といった枠組みで判断するというのが裁判実務」は根拠の無い全くのデタラメである。

これが表現の間違いで「警告上の欠陥と因果関係を並行して検証しつつ認定結果は同時に示す、といった枠組みで判断するというのが裁判実務」と言いたい可能性も考慮しよう。 そう表現するつもりだったとしても、J&T治験塾の主張はあてはまらない。 何故なら、どちらの裁判においても、副作用と損害の因果関係を検証しているだけで、警告上の欠陥と損害の因果関係は全く検証していないからだ。 その詳細は後述する。 そもそも、そう言いたいのであれば、具体的にどのように因果関係を検証したのかを示せば良い。 根拠も示さずに断言するだけでは「そこのホームページ」に対する反論になっていない。

言葉通りに読み取ると「警告上の欠陥が認定されると、同時に因果関係も認定される」は警告上の欠陥と因果関係が同時に認定されることを意味するのだから、これは警告上の欠陥が認定されれば自動的に因果関係が認定されることを意味する。 しかし、製造物責任法の逐条解説には次のように書かれている。

(12)「証明責任はどうなるのか」
この問題は立法段階から最も深刻な議論をよんだ争点の一つである。 EC指令第四条は、被害者の立証責任を定めた独立の条項を有しているが本法は有していない。 「本法は、権利の発生を主張する者が具体的な権利発生事実を主張・証明する民事訴訟の原則に立って策定されたものである。」 従って、本法においては被害者、原告側が(a)欠陥の存在、(b)損害の存在、(c)欠陥と損害の因果関係の存在について証明しなければならない。 このような証明責任を被害者側におくことは、推定規定の排除を意味し、被害の負担が大きいものになるという不利益は避けられない。 この点については「本法案では、立証責任については、原告が責任原因を立証するこれまでの原則が維持されているが、政府としては、裁判において個々の事案の内容、証拠の提出状況等に応じて、経験則、事実上の推定等を柔軟に活用することにより、事案に即し、公正に被害者の立証責任の軽減が図られることを期待する」という説明がなされている。
製造物責任法の逐条解説-北川俊光(https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/2022/4/KJ00000726911-00001.pdf)

このように、立法段階の議論において製造物責任法からは因果関係の推定規定は意図的に排除されている。 よって、「警告上の欠陥」から因果関係を推定することはできないのであり、警告上の欠陥と「同時に」因果関係が認定されることはあり得ない。 ただし、個別の事例に対して裁判所の判断で「被害者の立証責任の軽減が図られることを期待する」とされている。 しかし、大阪地裁は被害者の立証責任の軽減を認めていない。

製造物責任法は,被害者保護の観点から,被害者は,製造物に存在した欠陥によって損害を受けたことを立証すれば,製造業者に対して損害賠償請求をすることができ,製造業者が免責されるためには,製造業者において同法4条所定の免責事由を立証する必要があるとして,民法の不法行為に基づく損害賠償請求における立証責任を上記の限度で転換したものであるが,製造物責任法は,これを超えて更に被害者の立証責任を転換したものと解することはできない。
したがって,事実上の事実推定において,製造物責任法の立法経緯や同法の趣旨が踏まえられるぺきであるが,製造物に欠陥が存在すること及び製造物の欠陥により損害が発生したことについての主張立証責任は,原告らが負うものと解する。(V-89)
大阪地裁判決第五分冊-薬害イレッサ弁護団(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?iressabengodan.com/2011/02/26/data/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%9C%B0%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%B1%BA%E7%AC%AC%E4%BA%94%E5%88%86%E5%86%8A.pdf)

また、製造物責任法において被害者の立証責任の軽減が認められたとしても、それは、国家賠償法上の因果関係の立証責任の転換・軽減の根拠とはならない。 事実、国家賠償法における被害者の立証責任の転換・軽減は大阪地裁も東京地裁も認めていない。

しかし,原告らは,厚生労慟大臣がイレッサを承認した行為が国家賠償法上違法であるとして,同法1条1項に基づく損害賠償責任を主張するものであり,同項所定の損害賠償請求権の発生原因事実については原告らが主張立証責任を負うと解されるから,原告らにおいて,公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたことを主張立証する責任を負うというべきである。
大阪地裁判決第五分冊-薬害イレッサ弁護団(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?iressabengodan.com/2011/02/26/data/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%9C%B0%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%B1%BA%E7%AC%AC%E4%BA%94%E5%88%86%E5%86%8A.pdf)


原告らは,申請に係る医薬品に有用性が存在することの主張立証責任は,国賠法上も被告国に存するものと主張するが,独自の見解であって,採用することができない。(III-4)
東京判決第3分冊-薬害イレッサ弁護団(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?iressabengodan.com/data/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%88%A4%E6%B1%BA%E7%AC%AC%EF%BC%93%E5%88%86%E5%86%8A%28%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%29%5B1%5D.pdf)

以上のとおり、「警告上の欠陥が認定されると、同時に因果関係も認定される」は、立法趣旨にも実際の判決文にも反している。 何より、次の自らの主張とも矛盾している。

ただ、先ほど言ったように、製品の欠陥が認定されれば、因果関係は認定されやすいという側面はありますが、因果関係のところは争う余地は十分にあるということです。 私も因果関係論で争い取り下げさせた経験があります。
資料⑥塾長医法研5月度月例会講演録-J&T治験塾(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?members3.jcom.home.ne.jp/jaspertsuji/pdf/20110921-6.pdf)

自動的に因果関係が認められないからこそ、「因果関係のところは争う余地は十分にある」のである。 つまり、「警告上の欠陥が認定されると、同時に因果関係も認定される」ならば、「因果関係のところは争う余地は十分にある」はずがない。

ここで因果関係とは何か整理しておく。

・2つの因果関係が必要
1 欠陥と損害発生との事実的な因果関係の存在→欠陥が無ければ損害が発生しなかったこと
2 賠償すべき損害が相当因果関係の範囲にあること
講演資料|イレッサ訴訟判決が示唆するもの ソリブジン事件の教訓はなぜ活かされなかったのか-J&T治験塾(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?members3.jcom.home.ne.jp/jaspertsuji/pdf/20110608_2.pdf)


民法では、裁判所が債務不履行や不法行為について因果関係のある損害のうち、賠償すべき範囲が相当であると限定するための概念である。
相当因果関係-Wikipedia(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E5%BD%93%E5%9B%A0%E6%9E%9C%E9%96%A2%E4%BF%82)

医薬品の欠陥により患者が死亡したなら「賠償すべき範囲が相当である」ことは言うまでもないので、相当因果関係については論じる余地がない。 問題は「欠陥が無ければ損害が発生しなかったこと」である。 これについてはどの程度の確度で証明すれば良いのか。 それは最高裁判決で明確に述べられている。

訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。
東大病院ルンバール事件最高裁判例(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319122014039333.pdf)

このように、因果関係の証明には科学的に厳密な証明は必要ないが「通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうる」程度の「高度の蓋然性」が必要とされる。 立証責任を負う側の立場に立てば、この「高度の蓋然性」が成立しない限り、勝ち目はない。 逆に、立証責任を負わない側の立場に立てば、真逆の主張の「高度の蓋然性」は必要なく、相手の主張の「高度の蓋然性」を崩せば事足りる。 たとえば、因果関係が五分五分であるならば、有る無しいずれも「高度の蓋然性」が成立しないから、立証責任を負う側の敗訴となる。

イレッサ東京訴訟判決では
剖検報告書「死因は呼吸不全と考える。他の原因は見出せず、Gefinitibとの関連が十分にあると判断する」等を根拠に「イレッサの副作用である間質性肺炎が致死的となる可能性がある旨が本件添付文書第1版に明記されていれば、原告が・・イレッサにより・・死亡することは無かったと認めるのが相当である」と判示
講演資料|イレッサ訴訟判決が示唆するもの ソリブジン事件の教訓はなぜ活かされなかったのか-J&T治験塾(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?members3.jcom.home.ne.jp/jaspertsuji/pdf/20110608_2.pdf)

2011年9月21日の集まりには原告側副団長をゲストとして招いているのだから、J&T治験塾は原告側と一定の情報交換はしているのだろう。 それならば、原告が開示していない部分の判決詳細なども手に入れているはずであり、根拠として最も重要な部分を記載しなかったとは考え難い。 つまり、東京地裁判決の因果関係の最大の根拠は「死因は呼吸不全と考える。他の原因は見出せず、Gefinitibとの関連が十分にあると判断する」なのである。 これが事実なら、素人が見ても分かるような明らか誤判である。 こんな基本的な論理飛躍も指摘できないのに「法学博士」を名乗るのは恥ずかしくないのだろうか。

もしも、設計上の欠陥や製造上の欠陥が認定されたならば、この「根拠」は、欠陥と損害の因果関係を示す根拠となろう。 というのも、この場合、設計上の欠陥や製造上の欠陥は間質性肺炎の副作用を指すのだからである。 つまり、副作用と損害の因果関係が立証されるならば、設計上の欠陥や製造上の欠陥と損害の因果関係も立証されたに等しい。 そこに通常人が疑を差し挟む余地は微塵もなく、高度な蓋然性が成立している。

しかし、東京地裁でも大阪地裁でも、イレッサの設計上の欠陥は否定されたし、製造上の欠陥も認定されていない。 両判決で認定されたのは指示・警告上の欠陥である。 指示・警告上の欠陥と副作用は別物であるから、副作用と損害の因果関係が立証されても、それは、指示・警告上の欠陥と損害の因果関係にはならない。

少なくとも、原告が開示した資料には、指示・警告上の欠陥が損害の主原因であることを示す根拠はない。 指示・警告上の欠陥と関係なくイレッサには死を伴う副作用があるのだから、指示・警告上の欠陥がなければ死ぬことはなかったとは言えない。 事実、指示・警告上の欠陥がなくなったとされた以降も死者は0にはなっていない。 指示・警告上の欠陥がある程度損害を拡大した可能性は否定できないが、寄与の程度が明確ではない以上、「欠陥が無ければ損害が発生しなかった」とは言い切れない。 そもそも、軽視してはならないはずの重篤な副作用を軽視する医師が、添付文書の記載場所を変えたくらいで副作用を重視するようになると考えるのでは、荒唐無稽な楽観論だろう。

また,「重大な副作用」欄の記載については,日本製薬工業協会の自主基準において,「重篤度分類グレード3を参考に副作用名を記載する」こととされており,医薬品情報学の教科書等においても,そのような理解がされていたところ,「重篤度分類グレード3」は,厚生省薬務局安全課長通知により,「重篤な副作用と考えられるもの,すなわち,患者の体質や発現時の状態等によっては,死亡又は日常生活に支障をきたす程度の永続的な機能不全に陥るおそれのあるもの」とされ,間質性肺炎はグレード3に当たるものとされていた。(III-144)
東京判決第3分冊-薬害イレッサ弁護団(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?iressabengodan.com/data/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%88%A4%E6%B1%BA%E7%AC%AC%EF%BC%93%E5%88%86%E5%86%8A%28%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%29%5B1%5D.pdf)

東京地裁も認めるように、「重大な副作用」欄の記載は死か重度の後遺症が生じる恐れのある副作用である。 つまり、警告欄も「重大な副作用」欄も、どちらも、軽視してはならない重大事項であることには変わりない。 もちろん、程度の差はあるが、「重大な副作用」欄に書かれた副作用の危険度を考慮すれば、その差はドングリの背比べだろう。 死か重度の後遺症が生じる恐れのある副作用を無視する医師が、重大性の程度をほんの少し引き上げただけで副作用を重視するようになるとは、常識的に考えてあり得ない。 わずかな程度の差が明暗を分ける事例が全くないとまでは言えないだろうが、可能性としては極めて低い。 その程度の差なら、むしろ明暗を分けない方こそ高度な蓋然性があると言えるだろう。

これに対して、「添付文書の改定後に副作用死が減少したのだから因果関係がある」とする反論もあろう。 しかし、それは 玄米菜食につとめ早期ガンを退縮させた」 中山会長プロフィールといずみの会の歩み と豪語するのと何ら変わりはない。 この話は良く聞くと 標準医療によって癌が治癒した一例 助かる確率は3万人に1人?「いずみの会」の体験談-NATROMの日記 でしかない。 玄米菜食で治癒したと誤認した原因は、摘出手術を受けた事実等、自分が信じたい結論以外を原因候補から外したからである。 このように、玄米菜食を実施したのもがんが治癒したのも、どちらも事実だとしても、その両者に因果関係があることにはならない。 これと同じく、添付文書の改定し、副作用死が減少したとしても、その両者に因果関係があることにはならない。 イレッサの副作用死が減少した原因候補は、可能性の高い順に次のような事実が挙げられる。

  1. イレッサの副作用死を大々的に報じたマスコミ報道
  2. 緊急安全性情報
  3. 添付文書の改訂

重大な記述を無視する医師が重大性の程度をほんの少し引き上げただけで副作用を重視するようになったと考えるよりは、マスコミ報道の影響で慎重になったと考える方が、よほど、現実的だろう。 事実、原告弁護団の配布する冊子には、原告の一人の主治医がマスコミ報道で初めて間質性肺炎の危険性を知ったことが書かれている。 また、原告側の最終準備書面には、別の原告の主治医が、添付文書の改定後であるにも関わらず、「入院またはそれに準ずる管理の下」とする指示に従わなかった事実が書かれている。

(6)イレッサ服用後の急激な病状の悪化
ア イレッサ服用直後の様子
Bは,入院の翌日の2003(平成15)年1月29日,イレッサ服用を開始し,以後同年2月6日まで,1日1錠ずつ服用を続けた。
服用後の同年2月1日には医師の外泊許可を得て自宅に帰り,翌2日は原告Aとドライブに出かけた。
同月3日,右下葉湿潤が増悪し,肺炎として治療を開始した。
また,同月5日は,当日に外出許可を得て,原告Aともに午後3時に外出し,自宅で過ごし,同日午後7時30分ころ,病院に戻った。このときのBの状態は,外出前と特に変わりなかった。
イ イレッサによる間質性肺炎の発症
2月6日,Bの呼吸困難が急に強まった。同日,胸部レントゲンで両肺びまん性すりガラス陰影が出現,胸部CTも併せ,間質性肺炎と診断された。同日,●●医師から,間質性肺炎のためにイレッサを中止すると告げられた(丙個2第1号証p279)。
最終準備書面(第3分冊)-薬害イレッサ弁護団(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?iressabengodan.com/data/saijun3.pdf)

これだけの事実を突きつけられれば、指示・警告上の欠陥がなければ損害が発生しなかったとはとても信じられまい。 このように、通常人が疑を差し挟む余地が多々あるのだから、高度な蓋然性は成立せず、因果関係は立証されたとは言えない。

被害者救済を口実に、無理矢理、製造物責任や国家賠償責任を認めようとするから矛盾が生じるのである。 既に説明した通り、どう頑張っても、次の3つ全てを満足しようとすると論理の辻褄が合わない。

  1. 初版の添付文書には指示・警告上の欠陥がある。
  2. 初版の指示・警告上の欠陥と損害の因果関係がある。
  3. 第3版の添付文書には指示・警告上の欠陥がない。

初版の添付文書には指示・警告上の欠陥がないなら、製薬会社の製造物責任も国の国家賠償責任も否定される。 指示・警告上の欠陥と損害の因果関係がない場合も同じである。 製造物責任や国家賠償責任を認めるならば、第3版の添付文書にも指示・警告上の欠陥があると認定しなければ、論理の辻褄が合わない。 既に説明した通り、「重大な副作用」欄を軽視した医師が投与に慎重になるためには第3版の添付文書程度の警告では全然足りない。 しかし、初版の添付文書の指示・警告上の欠陥を認める根拠となった通達を適用すると、第3版の添付文書の指示・警告上の欠陥を認定することができない。 通達違反を根拠にすれば、通達に従っているはずの第3版の添付文書には欠陥がないことになってしまう。 そうすると、指示・警告上の欠陥を認める別の根拠が必要になるが、困ったことに、警告欄の記載でも不十分とする法的根拠がない。

そもそも、どうすれば指示・警告上の欠陥がなくなるのか明確に示せなければ、指示・警告上の欠陥を認定するのは困難である。 どう書いても指示・警告上の欠陥がなくならないのであれば、欠陥を回避することが不可能となる。 回避不可能な不可抗力は欠陥と言えるだろうか。 仮に、指示・警告上の欠陥と認めても、不可抗力では開発危険の抗弁が成立することは明らかである。 よって、初版の添付文書の指示・警告上の欠陥を認めるためには、どこまでが指示・警告上の欠陥となるのか、具体的な線引きが必要である。 それには、初版の添付文書の指示・警告上の欠陥を認める根拠となった通達しかない。 そして、その通達では、第3版の添付文書には指示・警告上の欠陥がないことになる。

前2つを否定すれば、製造物責任や国家賠償責任が否定される。 最期の1つを否定するには法的根拠が足りない。 被害者救済という結論に固執する限り、この矛盾は解消できない。 矛盾を解消するには、原告の訴えを棄却するしか選択肢はない。 両地裁は、被害者救済を口実として、致命的な論理矛盾を容認したのである。 しかし、致命的な論理矛盾で無実の者に罪を着せてまで“被害者”救済をすることが本当に社会正義なのだろうか。 真実に背を向けて無実の者に罪を着せることが本当に社会正義なのだろうか。 こんな無茶苦茶な判決を下すくらいなら、「重大な副作用」欄の重要性の周知徹底が不十分だったとして医師に対する監督責任を認めた方が遥かにマシである。 その方が社会に対する悪影響も少ない。

私どもの場合は、指示・警告上の欠陥が問われておりました。 もっと具体的に言いますと、間質性肺炎というものを警告欄に挙げて警告すべきであったということ、それから重要な副作用欄には挙げていたのですが、これが4番目ではなくて1番目にすべきだったという判示がされているのです。 そうしますと、ちゃんとやっていれば、つまり指示・警告上の欠陥がなければ、間質性肺炎というものが発症しなかった、ないしはそれで死亡することがなかったと、これが因果関係になるかと思うのです。
資料⑥塾長医法研5月度月例会講演録-J&T治験塾(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?members3.jcom.home.ne.jp/jaspertsuji/pdf/20110921-6.pdf)

この質問は質問者名が明らかでないが、質問内容から見て原告側の人間であることは定かであろう。 それはともかく、「そうしますと」の前後が全くつながっておらず、既に説明済みの論理飛躍が見られるのだが、これに対する回答にはその指摘がない。 因果関係について質問され、因果関係を左右する重大な問題には気付かず、見当違いな回答をしている。 これが「5月度月例会」の記録であるならば、5月の時点で既に原告側と接触を持っていたのだから、先の6月の講演資料も詳細な判決文を見て書かれたものと見て良いだろう。

危惧 

イレッサ訴訟を巡り巷間言われていたこと
・抗癌剤承認や治験への不安イレッサ訴訟提起を巡り、新薬承認への不安や抗癌剤を使った肺がん治療に対する懸念や言わば人災ともいうべき薬害エイズやC型肝炎訴訟とは異なるとの見解があった
和解を受諾するようにとの裁判所の所見がまかり通ったら、新薬承認は萎縮する、副作用責任が問われることになれば、誰しも承認に二の足を踏み、新薬が生まれなくなる
→わが国では抗癌剤の治験はできなくなる
→抗癌剤は売れなくなる・・という不安
★判決文を読めば、これらは杞憂であったことがわかる
講演資料|イレッサ訴訟判決が示唆するもの ソリブジン事件の教訓はなぜ活かされなかったのか-J&T治験塾(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?members3.jcom.home.ne.jp/jaspertsuji/pdf/20110608_2.pdf)

J&T治験塾の解説の最大の問題点は、判決を左右する部分の解説が全くないことである。 とくに、東京地裁も大阪地裁も、発生頻度(何人中何人が発症するか)や発症傾向(予後がどれだけ悪いか)を正確に把握することは困難だったとし、かつ、素人に分かるような書き方をする必要がないとしているのに、どうして重大な副作用欄の記述では不足するのか、その解説が全くない。 その解説があれば「杞憂」どころか懸念した通りになったと良く分かるはずである。

どちらの判決においても、どの程度の発生頻度なら警告欄に記載すべきか、どの程度の発症傾向なら警告欄に記載すべきかの基準が示されていない。 だから、ほんの僅かな漠然とした危険性であっても、警告欄に記載しないと指示・警告上の欠陥が認定されてしまう。 両判決に基づくならば、どんなに予測が困難な副作用であったとしても、 後知恵に基づく批判 肺がん治療薬イレッサの訴訟にかかる和解勧告に対する見解-日本臨床腫瘍学会 後方視的な批判 肺がん治療薬イレッサの訴訟に係る和解勧告に対する見解-日本肺癌学会 がいくらでも出来てしまう。 製薬会社がそれを恐れれば、医薬品が市場に出るのが遅れてしまう。 場合によっては、製薬会社が日本市場から撤退することも考えられる。

過剰反応は禁物ですが、最近気になるのが、一つは、やたらと承認条件付承認で、しかもその多くが全例調査ということです。 これはちょっとやり過ぎではないでしょうかというのが、率直な気持ちとしてあります。
資料⑥塾長医法研5月度月例会講演録-J&T治験塾(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?members3.jcom.home.ne.jp/jaspertsuji/pdf/20110921-6.pdf)

「やり過ぎ」と感じる状況が多々発生していると知りながら、どうして「杞憂であった」などと言えるのだろうか。

訴訟目的 

イレッサ訴訟の場合には、お医者さんは被告になっていませんが、本来はお医者さんが被告になっておかしくないし、なっていたら負ける人がたくさん出ただろうと思うのですが、なぜ入れなかったかというと、お金が目的というよりも、政策形成が主目的だからです。
資料⑥塾長医法研5月度月例会講演録-J&T治験塾(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?members3.jcom.home.ne.jp/jaspertsuji/pdf/20110921-6.pdf)

これも全くデタラメである。 「お医者さんが被告になって」「負ける人がたくさん出ただろう」ならば、医師に過失があったということである。 本当に「政策形成が主目的」ならば、副作用被害の真の原因を明らかにし、その対策を政策に盛り込まなければ意味がない。 多数の医師の過失が多大な副作用被害を生んだのであれば、その実態を明らかにして、その対策を政策に盛り込まなければ「政策形成が主目的」にはならない。 よって、本当に「政策形成が主目的」であるならば、不法行為者を全員訴える必要がある。

一方で、「お金が目的」であるならば、必ずしも、全員を訴える必要はない。 民法第七百十九条 数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは、各自が連帯してその損害を賠償する責任を負う。の規定により共同不法行為は連帯責任となるので、一人だけを訴えて全員分の賠償額を支払わせることもできる。

以上のように、医師を訴訟対象から外したのは「政策形成が主目的」だったからではない。 ただし、お金の為ではなく、冤罪を厭わない復讐が主目的だったからであろう。

補足 

その他、原発事故と無理矢理結びつけるなとか、突っ込み所も多いが、まともなことも少しは書いてある。

その後、抗がん剤の下痢というのは、亡くなることがあるし、致死的なことがあるのだという共通認識が今名あるものですから、イレッサの場合も、数も多かったことから下痢というのが一番初めに書かれた。 1番目か4番目かというのはあまり意味がない。 ここに書いてあることは全部重要です。
イレッサという薬は非小細胞がんという致死的疾患の治療薬だったということです。そういう前提事実を少し考えておかないといけないでしょう。
資料⑥塾長医法研5月度月例会講演録-J&T治験塾(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?members3.jcom.home.ne.jp/jaspertsuji/pdf/20110921-6.pdf)


PL法は民法の特則という位置づけです。 過失という要件は一応クリアされたという前提で欠陥より損害が発生していたら責任を問うという法律構成です。
開発危険の抗弁は無過失との抗弁です。 無過失との抗弁を許すことや民法の準用などPL法には無過失責任はなく、欠陥責任というのが正しいと理解です。 原告側に過失という立証は要らないということだけです。
資料⑥塾長医法研5月度月例会講演録-J&T治験塾(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?members3.jcom.home.ne.jp/jaspertsuji/pdf/20110921-6.pdf)


一部に裁判に対する誤解があります。 裁判所は真実の究明をしてくれるところではありません。 裁判では正しいほうが勝つものでもありません。 正しい方により有利な証拠が多いから、勝つチャンスが多いだけです。 弁護士任せでは勝てません。法務担当者もそれこそ真剣に弁護士と一緒に汗をかかねばだめだということです。 弁護士の中には負けると「裁判所は分かっていない」と言う方がいます。 大体こういう弁護士は使わないほうがいい。 能力不足を自白しているようなものです。
資料⑥塾長医法研5月度月例会講演録-J&T治験塾(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?members3.jcom.home.ne.jp/jaspertsuji/pdf/20110921-6.pdf)


・添付文書の位置づけ
医師が使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、従わなかったことに特段の合理的理由が無い限り、当該医師の過失が推定される(最高裁H.8年1/23ペルカミンエス判決)
医師は最新の添付文書を確認し必要に応じて文献を参照するなど、当該医師の置かれた状況の下で可能な限りの最新情報を入手する義務がある(最高裁H.14年11/8テグレトール等によるSJS判決)
・誰を相手に記載すべきか
医療用医薬品のように医師等が使用することが予定されているものについては、これを使用することが医師等の知識、経験等を前提として、当該医師等が添付文書に記載された使用上の注意事項の内容を理解できる程度に記載されていれば足りるものと解される(イレッサ訴訟東京判決IIIー142頁)
→米国でも同様の考え方(後述:専門家介在理論)
講演資料|イレッサ訴訟判決が示唆するもの ソリブジン事件の教訓はなぜ活かされなかったのか-J&T治験塾(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?members3.jcom.home.ne.jp/jaspertsuji/pdf/20110608_2.pdf)

これらはまったくその通り。 だが、法学博士という肩書きのないど素人にも言える内容である。

それはある面では正しいと思うのですが、土井発言には若干、違和感があります。「ソリブジンのときは1週間後に緊急安全性情報を出したが、イレッサは3カ月もかかった」と言っています。 実際は1カ月半ぐらいだったと思いますので、これはちょっと言い過ぎではないか。
資料⑥塾長医法研5月度月例会講演録-J&T治験塾(http://iressa.sakura.ne.jp/jump.cgi?members3.jcom.home.ne.jp/jaspertsuji/pdf/20110921-6.pdf)

「3カ月」が「言い過ぎ」なのは全く正しい。 しかし、具体的な数値は違っている。 「3カ月」は承認からの時間で、「1カ月半ぐらい」は薬価収載からの時間である。 厚生労働省の対応を論じるならば、危険性を知り得てからの時間を論じるべきである。 薬価収載までは使用例が少ないため、副作用死についての情報も少ない。 ソリブジンのような一般的な薬においては、たったの1例の死亡でも想定外の危険性とされる。 一方、抗がん剤においては、ある程度の副作用死率は想定の範囲内とされている。 だから、抗がん剤においては、一定数以上の副作用死報告がないと想定外の危険性は判明しない。 よって、抗がん剤においては、それだけの危険性を知り得るまでそれなりの時間が必要である。 そうしたソリブジンとイレッサの事情の違いを考慮せずに「イレッサは3カ月もかかった」は言い過ぎである。 実際には、危険性を知り得てから1〜2週間で緊急安全性情報を出している。 だから、緊急安全性情報が出るまでの実質的な時間はソリブジンと大差がない。

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